参拝方法

神社と寺院では参拝のお作法に共通点と異なる点があります。お辞儀の仕方が違っていたり、お香があったりと、細かく見ていくと意外なお作法もちらほら。でも、共通するのは敬う素直な気持ち。心を込めて正しいお作法に沿ってお参りすれば、清々しい気分になって、きっといいことがあるはずです。

参拝の手順

手水舎(手水)の手順は神社と同じでOK

左手→右手→口→左手→柄杓の柄の順で。柄杓一杯の水で全ての手順を終えるのがポイント。前もってハンカチを用意しておけば、慌てずにすみます。

山門の前で合掌して一礼し、右足から入る。敷居は踏まない

お寺の玄関にあたる山門から中は、仏様がいらっしゃる場所。心を静めて胸の前で合唱したままお辞儀し、右足から入ります。脱帽し敷居は踏まずにまたぎます。左側通行で歩きます。

礼拝(お願いごと)は供養(お供え)の後。

先にお供えをしてからお参りをします。

お堂の前に進んだら、まずは仏様へローソク、線香をお供えします。

備え付けのマッチでローソクに火を灯し、お線香をつけて線香立てに立てます。 ただし、ここで注意したいことが二つあります。 一つ目の注意点は、お線香の火は「ふうっ」と口で吹いて消さない、ということです。 仏教では、人の息は穢れを含んでいると考えられていますので、お線香の火は手であおいで消すようにします。 二つ目の注意点は、他の参拝者からの火を受けない、ということです。 「このろうそくから火をもらおう」と、他の参拝者が灯した火を使うと、その人の業をすべて引き受けてしてしまう、と言われています。

お線香(焼香)の意味 焼香は一度火がつくと消えることなく最後まで燃え尽きます。これによって私たちは焼香から真実の道をたゆまず実践することの大切さを教えられます。 ロウソク(灯明)の意味 ロウソク(灯明)には闇を除き全てを明るくする(除暗遍明)力があります。これは仏様の知恵が私たち全ての迷いを除き、悟りを導くことにたとえられます。これによって、私たちは灯明より迷いなき真実の知恵を得ることの大切さを教えられます。

お賽銭→合掌一礼→お祈り(お経もしくは御真言をお唱えする)

お賽銭は投げずにそっと入れます。胸の前で合掌したまま一礼したら、 お祈りします。

お賽銭は「お布施(おふせ)」の一種です。 お布施は仏教で「慈悲の心をもって、他人に財物などを施す」行為だと言われています。 布施(ふせ)は、梵語では「檀那(旦那)(ダーナ、)」といい、慈悲の心をもって、他人に財物を施すことで、六波羅蜜のひとつである。布施には「財施」「法施」「無畏施」の三種がある(大智度論)。布施をする人をダナパティといい、施主(せしゅ)、檀越(だんおつ、だんえつ)、檀徒(だんと)などと訳されます。なお、菩提寺にお布施をする家を檀家(だんか)という言葉も、檀那、檀越から来たものです。

(豆知識)
お賽銭はお願い代ではありません。お金には災いや汚れを磁石のように吸い付ける力があると考えられています。お金のルーツは貝で、古代中国では貨幣代わりに使われていた。使用されていた貝には穴が空いており、貝は命が生まれてくる女性器に似ているところから、この世とあの世の出入り口と考えられていました。貝の表がこの世、裏側があの世と言われ、生きている人に付いた“ケガレ”(病気や災いなど)が、穴を通ってあの世に吸い寄せられるとされ、その名残が今のお賽銭に繋がっています。つまり、自分の持っているお金をお賽銭として投げ入れることによって、自分の身を清めることになるんです」。「お賽銭というのは“ケガレ”を清めるものですので、額の多い少ないというのは特に関係ありません。では、“ケガレ”たお金たちは、どこでマネーロンダリング……どうやって浄化されていってるんでしょうか」これは「お寺に納めることで清められる」と考えれば良いのです。「お賽銭は神様仏様へのお礼の気持ち、日々の感謝の気持ち、そんな真心の表現という意味もあるのです」
参考文献 國學院大學の新谷尚紀教授(民俗学)の説より抜粋

合掌して祈願し、一礼する。二礼二拍一礼はお寺ではあまりおこないません。

胸の前で合掌し、一礼します。お願いごとはお祈りした時に。つい二礼二拍一礼をしがちですが、お寺では基本的には行いません。ただし、真言宗や天台宗などは鎮守さま(その土地に古くからいらっしゃる地主神さま)をお祀りしているところもありあます。そこでは二礼二拍一礼をするところもありますので、御注意を。 この違いをしっかり覚えて。(ただしマニ殿に祀る三鬼権現様は、神様ですからここでは二礼二拍手です。)

山門から出るときも 合掌して本堂に一礼