大聖院とは

■はじめに

宮島にある寺院で最も歴史が深いのが、真言宗御室派(総本山仁和寺)の大本山大聖院です。空海が唐より帰朝後宮島に渡り弥山にて修行なされ、西暦806年(大同元年)開基。皇室との関係深く、鳥羽天皇勅命の祈願道場として、また明治天皇行幸の際の宿泊先に、さらには秀吉が茶会を開いたこともある格式高いお寺です。

 

■霊験あらたかな大聖院

弘法大師ご勧請の弥山の守護神 三鬼大権現をはじめ、秀吉が朝鮮出兵の際に護身仏として祈念した波切不動明王や厳島神社の本地仏であった十一面観世音菩薩。また七福神やお大師様など数多くの仏さまを祀ります。四国八十八カ所と中国三十三観音霊場の御砂踏み道場もあります。中国三十三観音霊場の御砂踏み道場は「戒壇めぐり」は足下にお砂、正面に観音様を拝しています。またその道場は「胎内めぐり」とも呼ばれており、めぐる(観音様の母体を)ことにより生まれ変わる、様々な罪障が浄化されるとも云われております。

 

■宮島真価は弥山の頂上からの眺めにあり

仏様はそれぞれ御利益がありますからお参りされる方々の目的に応じた仏様だけを参拝されてもよいですし、もちろん全部お参りされてもかまいません。
当院には年間を通じて多くの参拝者があり、そのうち大半が家内安全と商売繁盛祈願の三鬼大権現さまへの参拝者の方になります。正月と節分には特に沢山の方のお参りをいただいております。もちろん観光客の方も足をのばされて参拝に来られますが、大半の方は厳島の大鳥居、神社の回廊を見て帰られます。大聖院には元々厳島神社の奥殿にあった十一面観音菩薩を観音堂に安置しておりますし、宮島とも大変関係深いお寺です。
しかし本当の宮島の良さというのは弥山からの眺めだと言われております。かの伊藤博文も「宮島の真価は弥山の頂上からの眺めにあり」といい、当時七千円(現在にして二千五百万円相当)も出資され、弥山登山道を造られました。弥山の山頂から辺りを見回すと瀬戸内海に浮かぶ島々や遠くの四国や九州をも見渡せる景観。宮島が日本三景のひとつに入っているのはこの「眺め」でもあります。

 

■大師修法の1200年燃えゆる霊火

弥山山頂付近にある弥山本堂に虚空像菩薩、三鬼堂には弥山の守護神である三鬼大権現、大師修法の霊火を守る不動明王本尊の不消霊火堂など様々な堂宇が建ち並んでます。
中でも霊火堂にある「きえずの火」は西暦806年に弘法大師が弥山にて護摩修行なされた際に残った火を今現在まで毎日絶えることなく守り続けており、また広島平和記念公園の「ともしびの火」のもと火にもなっています。その霊火で焚かれている大茶釜の霊水を飲むと、万病に効くといわれています。

 

■大聖院の由来

大聖院は真言宗御室派の大本山であり、関西屈指の名刹です。鳥羽天皇の勅願道場として、明治天皇が中国地方を御巡幸された際の行在所になるなど歴代皇室との関係も深くあります。明治維新までは十二坊の末寺を有し、厳島神社の別当寺として祭祀を行っていた厳島の総本坊です。仁和寺と当院は本山と末寺というだけでなく、深く関係を持つ。
仁和寺第十二世門跡から十五世門跡までは京都の大聖院という仁和寺塔頭にて法務を執られていたこともあり、第二十世任助法親王(厳島御室)が法流宣布の為に厳島大聖院に御止住せられたのは先ほど述べたように仁和寺塔頭に大聖院があった為特に厳島大聖院を法流相伝の御室に充てられたものと思われる。
また当山の本堂は鳥羽天皇の勅願道場であり、仁和寺第五世覚性法親王は鳥羽天皇の第五皇子です。治承四年(1180)三月の高倉上皇の御社参について記した土御門内大臣源通親公の「高倉院厳島御幸記」には厳島神社の別当寺といわれる所以が示されている。
現在、厳島神社の恒例行事である玉取延年祭(旧暦七月十八日)や、大晦日の鎮火祭は当山から始まったもので、神仏習合の密接な関係が伺われる。