今月の法話

■「ご恩送り」【2024年7月の法話】

 

 先日、幼稚園年長の娘を連れて家族で出かける機会がありました。運転好きの私、日頃は多少の距離でも自家用車で出かけていますが、今回はやや遠方ということもあり、電車を使ってのお出かけでした。いつもはよく歩いてくれる娘ですが、お出かけの最中、疲れてくると抱っこを迫ってくることもありました。混雑した電車の中で子どもを抱きかかえていることには若干気が引けます。そうしたなか、我々親子共々に席を譲ってくださる方、娘だけでもと席を譲ってくださる方、また途中で席が空くと「ここ空きましたよ」と手招いてくださる方など、多くの方々の温かい想いに触れながらのお出かけでした。勿論その場で御礼の言葉はお伝えしますが、それ以上のお返しはできないものです。

 そのような私たち家族が大変お世話になっているご夫婦がいらっしゃいます。血縁関係もない私たちですが、ご自宅にお招きいただき、食事をいただき泊めていただいたり、近隣の名所をご案内いただいたりと大変快くしてくださいます。そうしたご好意を受けた時、ついつい私は「すみません」という言葉を口にしてしまいます。しかし、いつもニコニコ顔の奥様は「そのような時は、ありがとうでいいのよ」と諭してくださいます。

 ご夫婦曰く、二人には既に他界されていますが、恩師と慕う方がいらっしゃいます。その方には返しきれないほど快くしていただいたそうです。その返しきれない分を、私たち家族を含めご縁のある人たちに対して、自分たちができることをしているのだと。だから私たち家族にも、返せる気持ちはできる分してくれたらよいけれど、それ以上のものは自分たちができることを他の人に対してしたら良いのだと。それを「ご恩返し」ならぬ「ご恩送り」と呼ぶのだと。

 私も妻も親は健在ですが、日頃の感謝の気持ちを伝えようと何かをしても、物なり気持ちなりで倍以上のものが返ってきます。親には敵わないとつくづく思います。気持ちで返せる分は親にもしっかり返さないといけませんが、返しきれない分は子どもや周りの方々に。

 先の電車で席を譲ってくださった方々にできる御礼とは、その場での謝意は言うまでもなく、同じように自分たちができることを他の方々に対してすること、「ご恩送り」をすることがご恩返しになるのではないかと思います。

合掌

(日高 誠道)

 

 

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