今月の法話

■「重々帝網」【2025年5月の法話】

 

 「重々(じゅうじゅう)帝網(たいもう)なるを即身と名づく」

 これは、お大師様が『即身成仏義』において記された言葉であり、『華厳経』の深い世界を映し出す一句でもあります。帝網とは、帝釈天の宮殿に張り巡らされた無数の糸で、その交差点に輝く珠玉が、互いに光を映し合って無限のつながりを見せる景色です。私たちの命もまた、この帝網のように、目に見えない「ご縁」の糸で織りなされています。たて糸はあなた、よこ糸は私。まるで中島みゆきさんの歌「糸」のように、私たちは交わり、響き合い、生かされています。

 先日、私は不幸な出来事を通じて、自分自身と深く向き合う時間を持ちました。
 「しあわせ」とはなんだろう‥。
 多くの方が、「幸せ」という漢字を思い浮かべるでしょう。私も、美味しいご飯をお腹いっぱい食べられるときに、ふと幸せを感じます。

 けれども、そのご飯が目の前にあるということは、当たり前ではありません。
 食材を育てた人、運んだ人、料理してくれる人、場を整えてくれた人……。
 数えきれないほどの「ご縁」が重なって、今この一杯のご飯と私が出会えたのです。

 「しあわせ」という言葉の本来の意味を、私たちは忘れかけているかもしれません。それは「仕合わせ」、つまり、いろんな出来事・人・環境と「仕」え、「合わさる」こと。良いことも、つらいことも、嬉しいことも、哀しいことも全てが重なり合って今の「私」という存在がある。

 本来の「仕合わせ」は、ただの幸福感ではなく、「めぐり合わせ」「おかげさま」という感謝の心に根ざしていました。それが、いつしか「幸せ=良いことだけ」に偏ってしまったのです。

 私たちは、誰一人として、ひとりで生きている人はいません。

 目に見えない糸が、帝網のように張り巡らされ、無数の「珠玉」としての命が、互いを映し合っています。そこには、偶然はひとつもなく、全てが「必然」の巡り合わせ、それが「しあわせ」なのです。だからこそ、今、ここにいること、出会えたこと、何気ない日常さえも、「おかげさまで」と、手を合わせて受けとめる心を持ちたいですね。

合掌

(宮原大空)

 

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