今月の法話
■「雨の音に耳を澄ます」【2025年7月の法話】
雨の季節になりました。雨といえば何かと気落ちすることも多くございますね。じめじめとした日には、どこか気分も穏やかではない、そういうこともあるかと存じます。かくいう私も、雨続きの天気にうんざりしてしまうときがあります。
さて、日本に梅雨をもたらす梅雨前線は、南からの暖かく湿った空気と、北からの冷たい空気がちょうど日本付近でぶつかることによって生まれるといわれます。南は赤道直下の国から、北はシベリアの果てからはるばるやってくる風が日本に梅雨をもたらしている―。そう考えてみると、梅雨という日常も、やはり大自然の大きな力なのだと学び気づくものでございます。
お大師さまは私たちの身の回りで起こるあらゆる出来事は、すべて大日如来という仏様であると説かれました。雨の音も、風の騒ぎも、木々のざわめきも、すべては仏様の声、説法だということです。宇宙の中にある者はみな、ほとけの掌(てのひら)の上の仲間であるということです。
私たちは日々、何かと雑務も多く、仕事や生活に追われて暮らしています。天候にも左右されてしまいます。生きていくためには我慢をしたり、気落ちしてしまうことも乗り越えていくのです。けれどもそういう時は、「自分も、世界も、みな仏の手のひらの上だ」そのように考えてみたらよろしい。
人は余裕を失えば視野が狭くなるもの。そういうときこそ、ほとけの声を聴いて大きな心で今を生きてみましょう。ほとけはどこにでも在るものです。友達と話をしてもよい、少し散歩してみるのもよい、世界があなたのためだけに発してくれている言葉を、聞き逃さないということです。夏が待ち遠しく、快晴を待ち望むばかりですが、今の季節だからこそ感じることができる自分の気持ちを、ぜひ大切にいたしましょう。
大聖院には四季折々の風景があります。もちろんお不動さま、三鬼さまをはじめ仏さまもいらっしゃいます。小さく苔をまとったお地蔵さまもおられます。こういう季節に華やかな桜や紅葉はないけれども、しとどに濡れる雨の外出というのもまた楽しいかもしれません。青もみじと雨の中でほほ笑むお地蔵さまを見ると、なにか気づくことも、有ったりするかもしれませんね。
青もみじと雨の大聖院で、皆様にお会いできますことを心より楽しみにしております。
(中本 晴拜)