今月の法話
■「一刻一刻、たいせつに」【2025年11月の法話】
お釈迦さんの教えの一つに「無常を実践せよ」とあります。「無常」とは読んで字のごとく、常なきことを指します。この世界は移り変わっていく変化の過程であり、若さ、健康、富、名声、命も同じ状態に留まることがありません。無常を理屈ではわかっていても、それを常なるものであって欲しいという欲望に振り回されるのが人間です。故に老病死を苦しみ、そして不安で悩むわけです。
その苦しみや不安すらも“常なるものではない”と受け入れることが出来れば、「この苦しみはいずれ無くなる」と希望に変換して生きられるでしょう。しかし、すべての人がそうやって直ちに前向きになれるとは思いません。それでも、「すべては無常であり、自身もまた無常である」その事実に眼を逸らすことなく、一つひとつの出来事に感謝しながら努力して生きていかなければなりません。私はそれが無常を実践する事のひとつであると心得ております。
私たちはそれぞれの生活の中で、様々な経験をし、いろんな感情を体験し、学び、人間として成長していきます。コロナや戦争を経験した経済や社会も同じです。よく時代は繰り返すと言いますが、繰り返すという事は変化している証拠です。この世界も人間の感情も刻一刻とうつろっているのです。すべての現象が生まれてはやがて消えてゆく世界なわけです。
最近、若者の間で「自然界隈」というものが流行っています。癒しや写真映えを求めて自然を求めるコミュニティです。日本人は季節のうつろいで自然の変化(四季)を楽しんできました。無常の教えも自然の中にいると、スッと理解できます。冷たい川の水に足をつけた時、初めては冷たいですが次第に慣れていき、最初の冷たさを忘れます。修行で滝に打たれますが、季節によって、まるで滝に感情があるかのように温度や勢いに違いを感じます。その他、匂いや音、景色など、全身の感覚器官を通じて一体となれるのが、自然の良いところです。自然は時に脅威となって困難を経験させてくれる存在でもあります。
変わりゆく世界の中で、私たち自身も変化し続けていることを忘れずにいましょう。変わらないことに執着するのではなく、変化を受け入れ、良いことも思い通りにならないことも含めて、日々の出来事に感謝し、喜びを見出しながら前向きに生きていきたいものです。
(小西 崚弘)
