今月の法話

■「手放すことの大切さ」【2025年10月の法話】

 

 皆さんにとっての“幸せ”とは一体なんでしょうか。

 ブランド物のバッグを買うこと、美味しいものを食べること。旅行にたくさんいくこと。大切な人と過ごす時間。

 やりたいこと、したいことを考えればキリがないくらい思いつくのではないでしょうか。もちろん何かを手に入れることで一時的な満足を得ることができるのは事実ですが、それは長続きしません。人間の欲とは不思議なもので、一つ何かを手に入れてもまた次が欲しくなります。喉が渇いた時に塩水を飲んだら余計に喉が渇くのと同じです。まさに欲望の無限ループ。人間の欲とはそういう物なのです。何も欲が悪いとかそういった話ではありませんし、お大師さんも欲に関しては否定しておられません。ただ自分本位な小欲に縛られて何かを求めれば求めるほど心穏やかな本当の幸せは遠のいてしまいます。

 足ることを知るという言葉がありますがこれは非常に良い言葉だと思います。極限まで掘り下げてみると欲しいと思っていたものが実は必要ないものだったりすることがあります。

 たとえば、服は着るためにある物でありバッグは物を入れるためにあるものです。それが高価なものであったり、いくつも必要なものではないということです。せいぜい回せる分の着替えや、バッグであれば一つ持っていれば何不自由なく生活することができます。

 そして今の私たちが生きているのは、いうまでもなく、先祖の生きた証であり、もっと大きく言えば、地球、銀河系という、この環境によるお恵みのおかげであり、少しでも違えば今の私たちは存在すらしません。お釈迦さまもおっしゃったように人は食によって生きています。そこに価値感は関係なく食べ物を口にすることで例外なく誰しもが生きています。

 私も修行中には何かを口にできる時間は制限されていて、決められた時間以外に食事をすることはもちろん、飲み物もいつでも飲めるわけではありませんでした。

 しかし今では、喉が乾けば蛇口を開き、水を飲むことができ、暗い夜中でも電気をつけて本を読んだり、勉強をすることができます。

 これ以上幸せなことがあるでしょうか。

 足るを知ることで、自分自身の身の周りにある幸せに気がつくことができ、その幸せに感謝して日々を過ごすことで、誰かと支え合って生きているという他人との繋がりを実感します。さらに心の底から湧き出る“感謝”の想いを人に伝えることができます。

 “自分が”という自分本位な考えを手放し、“誰かのために”という利他の精神を持つことで穏やかな心を育み、本当の意味での幸せや平和をもたらすのではないでしょうか。

合掌

(市川 宗親)

 

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