今月の法話

■「すべての人は父母であり、自分を支えてくれる存在である」【2025年6月の法話】

 

 皆様、はじめまして。

 このたびご縁をいただき、令和七年三月より大聖院の職員として務めさせていただいております、日下部 篤祥(くさかべ とくしょう)と申します。由緒ある大聖院の一員として務めさせていただけることを、大変ありがたく思っております。

 日々の中に季節の移ろいを感じることができるのも、自然豊かな宮島の大聖院に身を置く恵みであります。

 六月の雨に、心静かに気づきをいただきながら、私はその恵みに感謝を捧げ日々精進しております。

 これからどうぞよろしくお願い申し上げます。

 さて仏教には「六道輪廻」という考え方があります。私たちは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上という六つの世界を、生まれ変わりながら行き来しているとされます。その長い生死の流れの中で、私たちは何度も父となり母となり、また子となって互いに関わり合ってきたのです。だからこそ、今出会うすべての男性はかつて父であり、すべての女性は母であるかもしれない。そう思えばどんな人にも自然に敬意と感謝の心が芽生えるのではないでしょうか。

 私たちは何かを成し遂げた時、つい「自分の力でできた」と思いがちですがその陰には多くの支えがあることを忘れてはなりません。家族や友人、同僚、そして時には見知らぬ人にまで、私たちは日々支えられて生きています。何気ない日常も、そうした支えの中にあるのです。

 お大師様は「三界は吾が子なり」とお示しになりました。これは、この迷いの世に生きるすべての存在を、わが子のように慈しむべきだという深い教えです。すべての人を父母のように敬い、またわが子のように慈しむ。その心が、自分の心をもやわらげ、周囲との関係をより豊かにしてくれるのです。

 どうか皆さまも日々出会う人々に敬意と慈しみの心をもって接してまいりましょう。そこに仏の教えの実践があるのではないでしょうか。

合掌

(日下部 篤祥)

 

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