今月の法話

■「こころ」【2024年8月の法話】

 

 梅雨があけ、暑い時期がやってきました。梅雨の溽暑には早くあけてほしいと願い、あけた酷暑の日々が続くと一雨ほしいものだなと感じます。

 同じ言葉でも私たちの考え一つでプラスにもマイナスにも捉えることができます。お大師さんの言葉に「眼あきらかなれば、途に触れて皆宝なり。心暗きとき遇うところ悉く禍なり」という言葉があります。私たちの物事の見方次第で、物事の捉え方が変わるという意味です。

 私の感性も少しずつ変化しています。お寺にいるときでも、朝と昼、昨日と今日で境内の植物や佇まい、空気感は違って感じます。街中にいるときと、大自然の中でも違います。街中の喧騒に触れると慌ただしく、ピリピリとした緊張感をもちがちです。かたや、大自然の中に身を置くと、深呼吸をし、穏やかな心で、おおらかな気持ちになります。是非皆様も意識を音や風、香りなど目に見えないものに向け、自分の五感を開放してみましょう。

 坂村真民さんの言葉に「大宇宙大和楽」という言葉があります。この地球の大自然は私たち人間が誕生する遥か前から存在し、私たちを見守り続けてくれています。

 目に見えないものを大切にすること、様々なものや人の立場に立って考えてみることで、相手の気持ちを感じ、想いを寄せることができます。「思い図る」から生まれた言葉が「慮る(おもんぱかる)」です。

 仏教でも仏さまの慈悲のこころを「慈愛」と言います。大自然の中にある仏はいつも私たちに慈しみと時には愛を持った励ましの厚情をかけくれています。

 お大師さんは「加持」という言葉を使われました。大日如来の大悲と衆生の信心とを表す言葉です。「仏日の影、衆生の心、水に現ずるを「加」と言い、行者の心、水よく仏日を感ずるを「持」と名づく」すなわち、仏の慈悲の心が常に衆生に注がれていることを「加」と言い、その仏の慈悲の心をよく感じ取ることができることを「持」といいます。

 以前、お寺にお参りに来られた信者さんが高齢になり、久しくお参りに来られていなかったとご自身のお母さまを連れてお参りになられました。お母さまはもう車いすでの生活になっており、歩ける状態ではなりませんでした。もちろん摩尼殿の祈祷所にあがる階段をみんなで抱えてあがるつもりで来られていました。お母さまを連れて、階段のまえに差し掛かったときです。お母さまがとっさにすっとたちあがり、「ここは自分で歩く」と階段を1人でのぼりはじめられたのです。その場にいた一同皆大変驚きましたが、お母さまの仏への敬虔なお気持ちがなせた出来事だと思います。三鬼さんも「ようお参りにこられたな」と無量広大な慈愛の心を持って、嬉しそうにお母さまの手をとり、導かれている御姿が私にも見える光景でした。

 8月はご先祖さまが戻ってこられます。皆様も心を開き、大らかにご先祖さまをお迎えください。

合掌

(吉田 大裕)

 

●2024年の法話(バックナンバー)


●2023年の法話(バックナンバー)