今月の法話
■「華」【2023年6月の法話】
衣替えの季節になり、半袖姿の人を見かけるようになりました。既にご承知のように本年は真言宗の開祖、弘法大師空海の御生誕一二五〇年という記念の年であり、その記念すべきめでたい年に巡り会えたことは何よりも有難いものであります。私自身も、春に修行を終え四月より大聖院にて修行を行うことができるのもご縁あってのことだと思っています。
先日、大聖院の団体参拝で高知県の四国八十八ヶ所、三十一番札所の竹林寺へ行きました。竹林寺開創一三〇〇年を記念して本尊の秘仏文殊菩薩のご開帳があり、三十三年に一度のお姿を拝まさせていただきました。その後、お隣にある牧野植物園に行きました。牧野植物園といえば、今NHK朝ドラ「らんまん」のモデルになっている、牧野富太郎の業績を顕彰するための植物園です。久しぶりの植物園で自然の中で植物に出会う喜びを感じることができました。
植物やお花は、私たちの生活に欠かせ無いものであり、いつでも私たちのことを見て咲いています。仏前にもお花をお供えします。神様、仏様にお供えするのに、「なぜ自分の方に向いているのだろう」と疑問に思ったことはありませんか?お供えするお花は仏様の「慈悲」を、灯明(ローソクの火)は仏様の智恵を表しています。「慈」「悲」という字には、どちらにも心という字が使われています。「悲」は抜苦(ばっく:衆生の苦を抜いてあげたい)という心です。火事が起きている家に子供が残されていたら、一刻も早く助けてやらなければと思います。また、病気で苦しんでいる患者を助けたいという医師の気持ち、そのような気持ちの働きが「悲」です。「慈」は与楽(よらく:楽しみ、喜びを与えたい)という心です。赤ちゃんが笑った時に可愛いな、生まれてきてくれてありがとうと思う親心、勇気や希望、感動を届けるスポーツ選手の心も「慈」です。仏教では仏の「慈悲」について、「衆生苦悩我苦悩:人々の苦しみが私の苦しみである 衆生安楽我安楽:人々の幸せが私の幸せである」と説かれています。これを仏様の慈悲、大慈悲といいます。このように仏様の「慈悲」の心を表しているのがお供えするお花であります。
お供えするお花がこちら向きに向いているのは仏様の気持ちそのものです。自分さえ良ければ他人はどうでもいいと無慈悲になるのではなくて、周りから見放された人でも見捨てず、同情して救いの手を差し伸べられるような人が華のように美しい人であります。何事も小さな積み重ねが大切です、小さな積み重ねが大きな華を咲かせるのではないでしょうか。
(宮原大空)