今月の法話

■「塵を払い、垢を除かん」【2023年12月の法話】

 

 気が付くともう年の瀬です。今年も色んな事があったなと、思い返しながら部屋の角を見てみるとホコリが溜まっているのに気づきました。

 みなさまは年越しの準備は出来ていますでしょうか。やはり今月最後の大仕事と言えば、大掃除という方が多いのではないかと思います。久しぶりに棚や冷蔵庫の裏を覗いて「ひゃー」と声をあげる誰かの姿が想像できてしまいます。

 私が京都のお寺で修行をしていました頃、掃除は「別行(べつぎょう)」という修行の一つでした。「特別な行」を略して別行と言います。なぜ特別なのかと申しますと、自分と他人の双方が徳をするからです。仏教で言いますところの、自利利他でございます。「ゴミの残しは心の汚れ」と言って、自分の心を洗う気持ちで頑張って綺麗にします。するとそこを訪れた人は、綺麗な場所で心も清らかになります。自分の為に行った事で、それが他人の為にもなり、お互いが徳をするのです。

 お釈迦様の御弟子に、掃除をする事で悟りを得た方がいらっしゃいます。シュリハンドクという方です。彼はあまりにも物覚えが悪く、仏道修行が思うように進まないので周囲から突き放されてしまいます。自分の愚かさに悲しんでいる彼のもとにお釈迦様がやってきました。「自らの愚を知る者は真の知恵者である」と言って彼を慰めたあと、一本のほうきと「塵を払い、垢を除かん」と言う言葉を授けました。

 シュリハンドクは「塵を払い、垢を除かん」と唱えながら一生懸命に掃除をしました。しかし、どれだけ綺麗にしても気付くとゴミが溜まり、また綺麗にしてもゴミが溜まります。それでも二十年間続けました。ある時、何度も汚れるのは人の心も同じであることに気付きました。「汚れが自分の煩悩とするならば、目に見えていない汚れの様に、自分でも気付けていない愚かさがまだある」と、シュリハンドクは悟りました。

 大人になると、ほうきを持つ機会が減った方が多いのではないでしょうか。それどころか、ロボット掃除機の方が徳を積んでいる時代です。どれだけやっても完璧にならないのが「別行」でございます。大掃除で、普段は見ない様にしているところへ目を向けてみてはいかがでしょうか。もしかすると心の奥の汚れにも気付けるかもしれません。

合掌

(小西崚弘)

 

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