今月の法話

■「厄」【2022年2月の法話】

 

 新年も明けて早くも一月が経過しております。正月も一つの大きい新年の区切り目ですが、この二月の節分も大きな区切り目のひとつになります。節分とは文字通り「節の分かれ目」を意味しており、立春だけで無く、立夏・立秋・立冬の前日を全て“節分”といいます。その中でも春は新年の始まりでもあることから、立春前日の節分を重要視していると云われています。

 古来より季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると信じられてきました。それらの邪気を追い払う為にお祓いや豆まきなどを行い、災厄から逃れ、来る一年の幸福を祈念するのであります。豆まきは皆様ご存知の事と思われますが、豆といった穀物は生命力と魔除けの呪力が備わっているという云われの元、その豆を炒り、鬼に豆をぶつける事により邪気を払い、一年の無病息災を願うという意味があります。また“まめ”は「魔目・魔滅」とも書き、鬼の目に魔目をぶつける事により魔を滅するという意味も含んでおり、日本の古来からある言霊の信仰に基づいた言葉でもあります。

 では魔や鬼とは一体何を意味し、何を指しているのでしょうか?。魔や鬼と聞きますと人に危害を加える悪いモノ、恐ろしいモノをイメージされる方が多いと思います。単に魔といいましてもたくさんあります。自分自身の欲望や迷い、悪事を働くこと等を考える内面の魔。色々な災難などが降りかかる外面の魔の二種があります。しかし、鬼に関しましては、当院に三鬼大権現という鬼神様をお祀りさせて頂いてる様に、御利益を頂けたり、逆に鬼が悪いモノを払ってくれるという伝えもあります。そういった悪い魔や鬼などの邪気を払い、災厄がよって来ないようにするのが“厄払い”という訳でございます。

 日々過ごしていく中で、先ほど述べた様な自分自身の内面外面の両方の魔に加え、身の回りには沢山の厄で溢れています。少しでもそういった厄を払い、また自分自身で気をつける事により一年間の健康、息災を祈念して頂ければと思います。

合掌

(江本 康亮)

 

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