今月の法話

■「物の荒廃は必ず人による」【2021年8月の法話】

 

 異常、異例、特別、緊急事態と言われることが続き、私たちも経験し、そして慣れを経て、「通常」「日常」に成り変わっていることが多くなってきていると感じる日々が続いております。

 昨年より続くコロナ禍、例年より早い梅雨入り、梅雨明け。今年の梅雨は例年と比べて六日。昨年より十八日早かったみたいです。また、この時期になると定番化し始めた異常気象。集中豪雨。今年も七月一日からの全国的な大雨の影響により各地で被災される方々、地域が発生しました。被災されました方々にはお見舞いを申し上げますとともに一日も早い復興、回復を祈念しております。

 ニュースを聞くたびにいつもと違うことが起こっている「非日常」という、「日常」になってきている感覚を覚えています。

 考えてみますと私たち人は起こっていることを「比べる」「比較する」ことをしがちです。昨日、昨年とすぐ比べます。科学が進歩し、便利になったからでしょう。データというものがとれるようになり、データに基づいて生活するようになりました。極端に言うとデータがないと生活できない人もいらっしゃると思います。そして、近年はデータにないことが起こり、私たちは「わからない」ということが身の回りで起こることが増えたが為に不安を感じることが多くなったのだと思います。そしてその不安をどこに向けていいのかわからず、もがき苦しんでいるのではないかと思います。

 先日、石鎚山のお山開きの巡拝の際に極楽寺の管長猊下に護摩を焚いて頂きお話をしていただきました。管長猊下のお話の中に「こころを開いて、仏さま、権現様の前に座る」というお言葉が出てまいりました。日々、目まぐるしいスピードで変わっている社会にバタバタしたい気持ちもわかるのですが、一歩一歩自分の足、体を使って自分の体と心を仏様のところへもっていき、いかがなものでしょう。いかがなことをすればよいのでしょうと虚心坦懐に腰を据えて、心を開き座る。圧倒されるのではなくどかっと腹を据えて自分のできること、やらなければならないことを慌てずに冷静な判断ができることが大事なんではないかというお話でした。

 弘法大師空海さまのお言葉に「物の荒廃は必ず人による」という言葉があります。この世は原因(縁)があって結果が生じます。物事には必ず原因があります。私たち人間がやることきちんとやっていればそのようになりますし、やることをないがしろにし、方向性を間違えると悪い結果になります。お釈迦様も「善因善果、悪因悪果」と言われております。一日一日できることをやり、無事に健康で過ごせたらそれで充分幸せなことです。ぜひ皆様も仏様の前に腰を据えて座ってみてください。日々の積み重ねがあなたの人生も豊かにしてくれると思います。

合掌

(吉田大裕)

 

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