今月の法話
■「今できること」【2021年3月の法話】
新型コロナウィルスの流行という未曾有の事態に見舞われた令和二年。明けて令和三年に入り、早くも三月を迎えました。ワクチンの提供が開始されるなど、コロナ情勢に少し明るい兆しも見えてまいりました。しかし、都心部を中心に未だ感染者は多く、医療体制の逼迫、休業要請や時短営業などによる経済の問題、はたまた人生のなかで大きな選択肢の一つともなる受験への影響など、このウィルスは多大なる影響を、そして広範囲に我々人間に今尚もたらし続けています。
その影響は計り知れないものがありますが、一方で私たちはこの一年間、様々な経験をしてきました。そのなかで、人間の本性のようなものも見てきたような気がします。それは決して肯定的なものではなく、哀しくも否定的なものであります。
報道では連日のように新規感染者数を挙げ、巷ではどこで感染者が出ただのと噂が飛び交っています。人口の多い都会では、人の少ない地方よりも感染者数は当然多くなるでしょうし、また検査数自体が増えれば、陽性者の数も多くなります。しかし私たちが触れている情報は、表面的なものに限られているような気がします。そうした表面的な情報に片寄った結果、「マスク警察」という言葉に代表されるような人々の言動が生じたのではないかと思うのです。
私も決して例外ではありませんが、緊急事態宣言以降、マスクをせずに外出している人を白い目で見てしまったり、一方マスクを着け忘れたことが無性に憚られたり、市中でちょっと咳払いする人を睨むような眼で見てしまったり、あの地域はあの店は感染者が出たから近づかないようにしようとか、また首都圏や関西圏から来たとわかったとたんにその人を避けてしまったり、外国の方がいると「(入国が制限されるなか)なぜ外国の人がここにいるのだろう」と思って見てしまったり、感染してしまうこと自体よりも感染したことによる風評を恐れたり…。
これが非常時における集団心理というものなのでしょうか。人は、己の身を守ろうとするのと同時に、人を傷つけるような行為も無意識にしてしまっているのです。
この困難な情勢を脱却するために、このウィルスに打ち勝つために、今もこのウィルスと戦っている多くの方々に声援を送り、また謝意を表しつつ、私たちが身近にできることは正しい情報に耳を傾けること、人を傷つけ己の心をも傷つけるような行いをしないことなのではないでしょうか。明けない夜はないように、この情勢もきっと良い方向に向かうはずです。三鬼大権現祈祷の願文にもあるように、私たちがするべきことは身口意の三業を浄めていくことです。
(日高 誠道)