今月の法話

■「三密」【2021年7月の法話】

 

 私たちはこの一年と数か月の間、世界的パンデミックという現象をどのようにとらえ、向き合っていくべきか多くの人々が模索する中、生物学者の福岡伸一氏はある対談の中で、「正しく畏れる」ことだと述べた。「恐れ」や「怖れ」ではなく「畏れ」をもって、つまり自然に対する畏敬の念をもってウイルスに接するべきであることが大切であると説かれた。福岡氏いわく「畏れる」は、英語で言うところの「sense of wonder」に近い感覚だそうだ。アメリカの海洋生物学者レイチェル・カーソンの遺作、『Sense of Wonder』という本を翻訳した上遠恵子さんは、この言葉に「美しいもの、未知なもの、神秘的なものに目を見はる感性」という名訳をあてられた。レイチェル・カーソンは、すべての子どもが生まれながらに持つ自然に対する好奇心と、美しいものや未知のもの、神秘的なものに目を見張る感性のことをsense of wonderと呼んだ。その根底にあるのは自然や生命に対する畏敬の心が、私たちに本来そなわっているものだからではないだろうか。

 日本にも鎌倉時代の「御成敗式目」に記された中に、「神は人の敬によりて威を増し 人は神の徳によりて運を添ふ」という言葉がある。
「神道のいかなる神々も人間の感謝と崇敬を受けてこそ、その御神威を輝かせるのである。 また人が人生において命や運を与えられるのは、神々から賜る徳や恩恵によってである。」
という意味である。

 古くから日本では、このように敬うという精神性が育まれてきた。

 ヒトが生きるにあたって、自然のちからを借りなければならないことは誰も否定できません。であれば、私たちは、自然や生命に対して深い認識と理解による畏敬の念をもつことが、生きることの根幹の教えでもあるのではないでしょうか。

 一二〇〇年ほど前、お大師さまは多くのお弟子さまとともに高野山において、人は如何に自然(生命圏)と共に生きるべきか、そのパラダイム(世界観)を見つけ、実践し、そのことを実証するに生涯をおかけになられました。そしてそのパラダイムこそが、今日のエコロジカル(自然や環境と調和するさま)な世界を希求する人々の目指すものでもあったのです。さらにそのパラダイムは、私たち一人一人の人間性の規範のすべてに及んでいるとお大師さまは説かれた。だからこそ私たちは真理の世界の中にいて、その世界と通じ合うために、日々三密(行動による身(しん)・言葉による口(く)・想いによる意(い)・それぞれの正しいはたらき)の修行をしていかなければならないということなのです。
南無大師遍照金剛

合掌

(酒井太観)

 

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