今月の法話
■「光」【2021年11月の法話】
今年も十一月に入り、本格的に冬へ移り変わりゆく頃となりました。今秋も昨年秋より新しく始めました夜のライトアップを行っております。近年、多くの寺社仏閣で行われているライトアップですが、日中に見るお堂や仏像などを夜にライトアップされているのを拝観するのとではまた違った雰囲気を感じ得ることができます。古くから伝わる社寺建築に仏様のお姿、庭園などを現代の新しい光で写し出す情景を是非皆様にも見て頂けたらと思います。
さて、我々は「光」というものの恩恵を多大に受けております。太陽が昇る日の光、闇を照らす月の光をはじめ、日常的に使っている照明やライト、テレビや携帯電話などの液晶端末などなど…細かく言い出しますとキリが無いほどにたくさんあります。また、仏教的な物ですとロウソクといったものも光を発しております。また物理的な光以外では、仏教では光(光明)を仏の知恵の象徴と受け止め、この知恵の光には私たちの迷いを破る力があると言われています。
明るい光で照らすということは、当然暗い影もあります。明るく照らされたものの反対は明るさに等しい強さの影となっているのです。何を当たり前のことを、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、この光と闇という表裏一体の考えは色々な事に通じるとこがございます。例えば、よく成功した人、名声を得た人などはその裏でたくさんの苦労や努力をしている、といった表現、例えを耳にする方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。栄光、名声を光とするならば、苦労や努力は影といえるでしょう。また、人の性格にしても“あの人は良い人だ”という人が居たとするならば、その“良い人”になる前に色々な経験をし、失敗(影)を知っているからこそ、他人にいい人と思われることのできる行動(光)ができるのではないでしょうか。
影をなくして光を得ることはできません。逆も然りで光だけを見ようとしても影がないと光は見えません。光ばかり得ようとし、影の存在をないがしろにすれば結果的に光を得たとしてもすぐにその光は消え去ります。光と闇の意味をどう捉えるかは皆様それぞれのお考え次第ではございますが、物事の光の部分、闇の部分。両方をきちんと見て考えてみて頂ければと思います。
(江本 康亮)