今月の法話

■「脱皮」【2020年12月の法話】

 

 無花果(いちじく)の樹の村の中に花を探し求めても得られないように、もろもろの存在の中に堅固なものを見出さないものは、この世とかの世とをともに捨てる。あたかも蛇が旧い皮を脱いで捨てるがごとくに。

 原始経典のひとつ、『スッタニパータ』(経集)はつぎのような一節を伝えています。蛇は生きているあいだにいくども脱皮するといわれています。人間の生涯も、これと同様に、いくたびも脱皮を繰り返していくことが必要です。自己に纒(まと)うさまざまなもの、怒り、貪欲、迷妄などを脱ぎ捨て、本来みずからに属していないものをいたずらに追い求めることなく生きることが、“涅槃”ということです。すなわち精神の脱皮、心の脱皮を重ねていくことが必要です。ひたすらに現世の苦悩を厭い離れて楽園を追い求めることではなく、“この世とかの世とをともに捨てる”ことが肝要であると、この一節は教えています。われわれは、ややもすれば目前の事象に心を奪われ、過ぎ去ったものにこだわり、また未だ到来しないことに一喜一憂することを常としがちです。何度も同じことを思い出しては気分を悪くしたり、落ち込んだりしてわざわざ繰り返し思い出し悲しんだり苦しんだりしてしまう。さらには一つの出来事が気にかかっただけなのに、さかのぼって違う不安材料などを持ち出して問題をさらに複雑にして、自分で追い打ちをかけてしまったり。どれだけ謝られても許せないし、やり直したくてもやり直せないと分かっていても、やっぱり同じところでつまずいてしまう。なぜ人は分かっているのにできないのだろう。そう思えば思うほど今の自分を変えなくてはいや、生まれ変わって全く違う自分になりたいし変わるべきだ。という二項的な自分の判断にこだわり、しまいには心をくじけさせてしまいます。「そこにあるもの」を「ないもの」にしようとするのではなく、「あるもの」は「あるもの」として受け入れて、その代わりにその「あり方」を変えるという考え方、つまり脱皮なのです。いらないものは脱ぎ捨てればいい、私は私。なぜなら私と全く同じ命は存在しません、だからこそ私は宇宙でたった一つ唯一無二であり、素晴らしく尊い存在なのです。だから自己を否定してまで変わる必要はないし変われないのです。「あり方」を変えるためにはすべてを網羅し水に流すことです。網羅とは懺悔。水に流すとは祓うこと。祓うとは鎮魂。鎮魂とは心を修めること。そのためには、お釈迦様の説いた仏教の教えである心の実践行という智慧が必要なのであります。

合掌

(酒井太観)

 

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