今月の法話

■「祈りとは」【2020年11月の法話】

 

 みなさま神社仏閣へお参りに行かれますと手を合わせ、お祈りをされると思います。それは神や仏、他者への想いを願い込めることであり、最も基本的な宗教行為や民間信仰の一つであります。当院ですと、三鬼大権現には自分自身や家族の御祈願、観音様へは供養に手を合わせにお参りに来られる方もいらっしゃるかと思います。

 私たちが生きていく中で祈ること、神仏にお願いをすることは数多くありますね。生まれる前には無事生まれてきますように、と安産祈願。生まれてからは無事育ちますように、とお宮参りなど。様々な祈願、祈りを一生生きていく中でされると思います。そもそも祈りとはなんでしょうか。先述した様に自分や家族・他人の祈願、故人の為に手を合わし供養するという行い。こういった願望でなくとも「今日一日良いことありますように」などと思うこと、食べ物を頂く前に言う「いただきます」という言葉、これらも一つの祈りだと思います。神様仏様に祈るだけで無く、自然環境やご先祖様・食物など様々な事に対しても我々は日々祈りの想いを捧げています。近年ではこうした祈りも減ってきているのではないでしょうか。古来は天気や自然など、生きる上で全てのことに祈りを捧げていたことでしょう。雨が降れば水神様に感謝し、作物が育てば豊穣の神へ感謝し祈り、自然災害などが起こらばその地の神に祈り、今日生きることができた事へも感謝し明日も元気に過ごせるよう祈っていたのではないでしょうか。科学が進歩しその物事の理がはっきりとし、こうした祈りの思いや気持ちが薄れて行くのは仕方の無いことなのかなとは思います。

 しかし今現在、新型コロナウイルスの影響が続く中、最新科学の力を以てしても事態の収束にはまだまだ時間かかりそうです。四月から早くも半年以上になりますが今できることは“祈り”だと思います。私たち人間が持つ祈りという力は何よりも強く、美しいものです。特に自分自身の願望だけでなく、他人を思いやり祈る気持ちというのは何物にも代えがたいものではないでしょうか。コロナの事だけで無く全ての事に通じるものだと思います。今一度“祈り”について考えていただければと思います。

合掌

(江本康亮)

 

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