今月の法話

■「命を授かって」【2019年3月の法話】

 

 一月末日深夜二時過ぎ、わが娘が無事に誕生しました。三千六百三十八グラムと少し大きめ、それだけ出産には時間もかかりましたが、元気な産声を聞くことができた時の喜びは言葉で表すことができません。医師や助産師さんの力を借りて、妻子ともさぞ頑張ったことと思います。そして今、時に大泣きもするけれど、すやすやと眠る我が子を見ていると本当に愛らしく、妻と二人幸せを感じます。

 最初に妊娠がわかった時、医師からは、この子どもが無事に産まれてくるかは五分の確立と言われました。妻は不安に落ち込み涙し、私は私で何の根拠も無いまま「大丈夫だよ」と慰めるより他はありませんでした。私たちの力ではどうすることもできず、ただできることは手を合わせることだけでした。そうして九ヶ月目、新しい家族を迎えた今、あの時のことを振り返ると、医師から五分の確立と告げられた命が無事に私たちのもとへ来てくれたこと、こうして目の前にいてくれるということに安らぎを覚え感謝するとともに、生命の不思議を感じざるにはいられません。

 そうしたなか、このところ頻繁に耳にするのが子どもの虐待に関するニュースです。自治体や学校、児童相談所など現場の対応云々と言われていますが、何よりもまだ幼い子どもたちが受けた苦しみ、そして悲痛な訴えを思うと胸が詰まる思いです。十分な食事や睡眠を与えられず暴行を受けたり、極寒の時季に冷水のシャワーを浴びせたりするなんて…。

 現代の日本は、新生児死亡率、妊産婦死亡率ともに極めて低いといわれています。しかし、それは極めて低いというのであって、決してゼロではありません。また世界に目を向けると、出産において多くの人が命を落としているのが現実です。命を授かることも当たり前ではなく、無事に産まれてくることも、また産むことも当たり前ではない。また、子どもが無事に成長することも当たり前ではない。「七つまでは神のうち(神の子)」という言葉があります。それには色々な意味合いがあるようで、子どもはあの世とこの世の境界にいるという認識に基づくとされますが、いずれにしても子どもが無事に育つことは当たり前ではないということを教示してくれています。だからこそ昔の人たちは、子どもが無事に成長することを神仏に祈り続け、そして無事に成長したことに感謝を捧げたのです。

 我が家の育児はまだスタートしたばかり、これから色々なことがあるでしょうが、まずは我が子を授かったことに感謝をし、無事に成長することを祈りながら精一杯大切に育てていきたいと思うばかりです。

 そして、二度と悲しいニュースを聞くことが決してないように。

合掌

(日高 誠道)

 

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