今月の法話

■「新たなる時代にむけて」【2019年4月の法話】

 

 いよいよ平成も残すところ一か月となりました。おそらく、この法話を読まれていらっしゃるころには新しい元号が発表され、新時代への期待や想いが皆様各々に沸々と湧き上がっている頃かと思います。せっかくの機会ですので、大聖院と皇室の関係もご紹介させていただこうと思います。

 大聖院はご存じの方も多いと思いますが、真言宗(しんごんしゅう)御室派(おむろは)の大本山です。本山は京都、御室にございます仁和寺(にんなじ)です。仁和寺は第五十八代(だいごじゅうはちだい)光孝(こうこう)天皇が仁和三年(八八七年)に国家の安泰を祈願するためのお寺として建立を発願されましたが、残念ながら、その年の暮れに崩御されてしまわれます。そこで光孝天皇の第三皇子に当たる宇多(うだ)天皇が御父帝の志を継ぎ、また、父の菩提の為に、仁和四年(八八八年)に年号の「仁和」を頂き、仁和寺を造営されました。そして江戸末期の三十代門跡(もんぜき)、純仁(じゅんにん)法親王(ほっしんのう)まで皇子皇孫が仁和寺の門跡として就かれたのでありました。

 今月三十日には今上陛下も退位されます。生前退位が約二百年ぶりに江戸後期の光(こう)格(かく)天皇以来ということで話題となっております。退かれた天皇陛下は上皇(じょうこう)さまと言いますが、出家された天皇さまは法皇(ほうおう)さまとお呼びします。宇多天皇は宇多法皇になられたわけです。ちなみに法親王とは出家された後に親王宣下を受けられた方につく名前です。

 大聖院と皇室との関係を申しますとまず、本堂は鳥羽(とば)天皇(在位一一〇七年~一一二三年)の勅願(ちょくがん)道場でございます。仁和寺第五世覚性法親王(かくしょうほっしんのう)は鳥羽天皇の第五皇子にあたります。またその孫にあたる高倉上皇も宮島に来られております。高倉上皇御行幸記には大聖院の住職のことを座主(ざす)と呼び、厳島神社の別当職(べっとうしょく)として、厳島神社の祭祀ごとを行う職であったと記されています。

 また、天正(てんしょう)年間には仁和寺第二十世門跡であられた任(にん)助(じょ)法親王(厳島御室(いつくしまおむろ))が数年間に亘って大聖院に御止住せられたことから当山を「西の御室」と称せられるようになりました。現在も、対岸の御室山に眠っておられます。近代では、明治十八年の明治天皇御行幸の際には行在所(あんざいしょ)として大聖院によられたという歴史が残っております。

 弘法大師空海さんから始まったこのお寺も様々な苦難、災害を乗り越え、今に脈々と受け継がれてきております。これも先人の方々のお蔭であり、また次の代へ引き継いでいかねばならぬことでもございます。

 近年、残念なニュースが後を絶ちません。いつの時代も悲しい出来事はつきものだとは思いますが、平成の時代が終わる今、私たちはどのような時代を過ごしてきたのか、また、次にどのような時代を迎えたいのか、見つめ直す時が来ているのではないかと思います。「仁和」という元号は思いやりや慈しみの意味を持つ「仁」と、調和、和合していくという「和」の字を合わせて、当時の為政者の想いを合わせた言葉でございます。発表される元号にはどのような意味がこめられているのでしょうか。

合掌

(吉田 大裕)

 

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