今月の法話

■「物の荒廃は必ず人による」【2018年11月の法話】

 

 早いもので、今年ももう十一月になりました。今年は住職の仁和寺執行長への就任、広島新四国八十八ヶ所霊場会が開創百周年、更には中国観音霊場会の合同法要も当山で行われました。有難い一年で、あっという間に十一月という感覚です。そんな今年を振り返ってみますと、特にスポーツ界の話題が多い年だったと思います。オリンピック、サッカーW杯、大阪なおみ選手の全米女子テニスでの優勝など、うれしいニュースが多々あった反面、度重なる「パワハラ問題」「相撲界の騒動」など暗いニュースも多くありました。

 九月末に、裏千家の御献茶式が厳島神社でありました。お家元のお話を聞かせていただく機会があり、お話の中で、「近年、慮る(おもんぱかる)ということをできる人が少なくなってきた」と。また、相手の立場に立って物事を考えることの大切さについて話されておりました。お家元のお言葉への共感と同時に、自分自身が出来ているのか、身が引き締まった思いも致しました。私も相手の立場に立って考える、相手がどういう気持ちでいるのか、想像して感じて観るという「感じる力」というものが失われつつあると感じています。

 便利で快適になってしまったため「有難み」や「もったいない」という感覚が薄れてしまっているのでしょう。「扉を開けたら、きちんと閉める」「部屋を出るときには電気を消す」これまで当たり前であったことが当たり前でなくなり、こういったことも気づかなくなり、できなくなっていく。仕事場や会議、いろいろな場面で人にお願いするときにも、相手に気持ちよく仕事をしてもらおうと思えば、自然と言葉は優しくなり、「申し訳ないんですけど、〇〇していただけませんか?」「お手間を取らせて申し訳ないのですが、、、」など、一言付くようになると思います。また、ミスをしてしまっても、素直に「すいません」「ご迷惑おかけいたしました」という一言を即座に誤れば済むことが、言えない人も増え、余計にこじらせているように思います。私も普段、言葉には気を付けておりますが、ついつい、自分のことで一杯一杯の時には、言葉がきつくなってしまい、あとから後悔と反省の念に駆られることが多い日々です。

 当山第七十五世座主恵光大僧正が生前「人間は弱い者です。又、怠け者です。強情者です。だからいつも自分を見つめ、自己に厳しく生きていく」という言葉を残されています。私たちはすぐに楽なほうへ逃げてしまいがちです。自分に厳しくしなければならないところが、自分に甘くなり、他人に厳しくなってしまっている。結果、現代の心の寂しい時代になってしまったのではないのかと思います。

 お大師さまも「物の荒廃は必ず人による」とおっしゃられています。今一度、手を合わし、自分の手を動かしてみて、「おかげさま」という心を見直してみる時ではないでしょうか。

合掌

(吉田大裕)

 

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