今月の法話

■仏は「ほどくこと」につながる~【2018年9月の法話】

 

 昔の言葉でこんな言葉があります。“仏、ほっとけ。”“神、かまうな。”これは「心配するな」「なんとかなる」と、かまわず放っておくことが、だんだん自然に、あるべきところ、もとのところに落ち着くことができますよと昔の人々が教えた格言の一つでしょう。また、“仏は、ほどくにつながる”ともいわれます。たしかに悩みや苦しみのもとを、もつれた糸をほどくのも仏教の教えによって解決に導いたり、安らぎを生むことができると思います。仏はほどくにつながるという意味もうなずけます。昔、ある僧が町を通りかかると人だかりがしています。のぞいてみると、すさまじい夫婦げんかの真っ最中です。「さあ、殺せるもんなら殺せ!」「ほう、なら殺してやる!」それを見た僧は前に出て見物しながら声をかけます。「これはおもしろい!もっとやれ!死んだらわしが引導を渡して成仏させてやる。さあやれやれ!」この声に夫婦はすっかり意気をそがれ、すごすごと家に入っていきました。僧は、ほどき方をちゃんと心得ていたのでしょう。私たちは日ごろさまざまな人間関係の上に生活しています。そして人と人との関係が、複雑にからみ合ってもつれて生きているのだと思います。しかしそのほどき方のこつを知っている人はなかなかいませんね。つまり仏心(ほとけごころ)を知って、持って解いていくならば、どれほどもつれた糸をも、人間関係をも解くことができるはずと思います。ほかにこんな言葉もあります。「今朝の雑煮は煮てとける」「夫婦喧嘩は寝てとける」。

合掌

(三松庸裕)

 

●平成30年の法話(バックナンバー)