今月の法話

■忘るべからず【2018年10月の法話】

 

 七月の西日本豪雨災害から早くも三ヶ月の月日が経とうとしています。そのあまりに大きな災害の爪痕に対して、三ヶ月という月日は、被災地の皆様にとってまだまだ短いのかもしれません。西日本各地に甚大な被害をもたらした災害が起こって間もないなか、この秋には関西北陸圏への台風二十一号の襲来、その台風通過直後の北海道を襲った胆振東部地震。改めて、謹んで被災された皆様へお見舞い申し上げますとともに、日頃から災害へ備えることの大切さを痛感いたします。

 西日本豪雨災害が起こったあの日、大聖院境内地にも山間から流れ出た雨水が滝のように流れ、排水が追いつかず遍照窟は冠水。そうした水の勢いに境内の土も流されました。結果、幸いにも被害は最小限で済みましたが、その日は宮島にも避難指示が出され、私たちも不安な一夜を避難所で過ごしました。

 災害から数日が過ぎ、私たちは何事もなかったかのように日常の生活に戻り、当たり前のように毎日を過ごしています。しかし、被災された方、復興に励んでおられる方、言葉にするのはとても辛いですが犠牲になられた方のご家族の方々にとって、この夏は言葉にはできない日々であったと思いますし、季節が秋へと移り変わった今も「当たり前」の毎日ではない日々を過ごしておられることと思います。

 交通機関の乱れは、徐々にではありますが解消されつつあり、そうした朗報はいち早く多々報道にも採り上げられ、「復興」を印象付けられます。一方で、個々の住宅の復旧作業や再建といったゴールの見えにくい問題は、災害直後こそ大きく採り上げられるものの、時間とともにテレビ画面や紙面を通じて伝わる機会も少なくなり、世間の関心も薄らいでしまうことにはどこか怖さを感じます。実際に、東日本大震災や阪神大震災さえも段々と記憶の隅に追いやられているように思います。

 そして今回、いずれの災害においても、断水や停電が大きな問題となりました。断水した地域では、トイレを流せない、お風呂に入れないといった問題があるなかで、井戸水が重宝されたという話題もありました。停電では、ほとんどの交通機関は麻痺してしまい、特に都会は混乱に陥ってしまいます。家庭でも、まず冷蔵庫が使えない、夜は蝋燭などの灯りで生活、更にそれによる火災も起こりました。そして、冷房が使えないために熱中症も深刻な問題となりました。そうした数々の二次災害ともいえる問題があるなか、ライフラインの大切さを痛感致します。そして、当たり前になってしまった「文明の利器」(とは言いすぎでしょうか)に、いかに日常頼りきっているかということを思い知らされます。その利器を手放すことはできませんが、せめて「当たり前」のものとして使うのではなく、使わせていただくという謙虚な気持ちを持つべきです。そして、非常時に備えることです。

 当たり前のように過ごしている毎日は、「当たり前」ではなく「有難い」ということ。況してや、家族や周囲の人たちと共に笑って過ごせるということは、この上のない幸せではないでしょうか。『天災は忘れた頃にやって来る』と言いますが、決して忘れないこと、他人事ではないということを今一度、肝に銘じなければなりません。

合掌

(日高誠道)

 

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