今月の法話

■いつでもここに【2018年4月の法話】

 

 先月の話になりますが、春のお彼岸の時期となり皆様もおはぎや、故人の好きだった物をお供えしたりしてご先祖様を供養されたと思います。私はよく供養のお経を終えて施主様とお話ししていると、故人の霊は何処にいかれたのですか?お墓ですか?家の仏壇ですか?また、どの様に手を合わせればいいのですか?と、よく尋ねられます。お盆には家に帰ってくると知られていても、普段は何処に…という方が多くいらっしゃいます。宗派によって考え方が変わりますが、真言宗では故人が戒名を授かると、仏弟子としてご本尊の大日如来の世界に導かれ、悟りに至る為の修行が始まると説いています。済世利人(さいせいりにん:世のため人のため)・衆生済度(しゅじょうさいど:人間をはじめ生あるものすべてを救済し悟りを得させること)の誓願の元、仏様の使いとしてお役に立てるように厳しい修行をしています。「あの人は仏様のような人だ」といわれ、生前は慎ましく、穏やかに生きた方でも、施しの心を疎かにしていたら修行を要すると云われています。

 しかし、このようにお伝えすると「それではお墓には居ないのか!」と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、故人の霊はお墓にも居ます。私たちの世界では「遠くに居たらここには居ない」や「仕事中(修行中)だから話をすることができない」が常識ですが、仏様の世界は物質的なものとして把握するものではありませんから故人の霊は冥界(あの世)にも居ることも、お墓にいることも、お墓参りをすれば修行中でもお話をすることができるのです。

 普段からあの世に、お墓に、仏壇(位牌)にいらっしゃいますので、お墓や仏壇に線香を供え、心に想うことでいつでもお参りする人の心に現れることができるのであります。故人の霊に限らず、仏様も同じです。当山でお祀りしています三鬼大権現さまも弥山と大聖院とまだ他にも数ヶ寺お祀りしており、どこでありましてもそのご加護を受けられるわけでございます。これからも日々、故人を想う気持ちなどお忘れなくお過ごしいただければと思います。

合掌

(江本 康亮)

 

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