今月の法話

■「愛」【2019年6月の法話】

 

 その昔ガンジス川を遡って都から何百キロも離れたところに大きな森があった。そこに一人の菩薩が、森に住む五〇〇匹の小猿の母として生まれた。一家はとても幸せに暮らしていた。

 「さぁみんな、今日はお母さんといっしょにマンゴーの実を採りに行こうね。」「早く行こうよ、おかあさん」子猿たちは、はしゃぎまわって木の枝はもう折れそうである。「だけど今日は一つ大事なことを言っておきますよ、どんなことがあってもマンゴーの実を川の中に落としてはだめよ。もし一つでも落としたら実は川を流れ、川下に住む人間に拾われます。人間はこんなおいしい果物を知らないから、きっと大勢でこの実を探しに来るに決まってる。そしたら私もおまえたちもここから追っ払われるのよ。いいね!」

 話を聞きおわった小猿たちは、甘いマンゴーの実をおなかいっぱい食べ、陽が西にかたむくまで楽しいときを過ごした。

 「さぁ、そろそろ帰りますよ。」母猿が皆にそう言った時一番小さい小猿の手が滑ってマンゴーの実がひとつ川の中へ落ちていった。

 「おかあさんはあんなこと言ったけど一つくらいいいや、どこかへ沈んでしまうだろう」小猿はそう考え黙っていた。

 「なんだろ、これは」都に近い岸で漁師が流れてきたマンゴーを拾い上げた。「見たこともない果物だ、こんな珍しいものは王様に差し上げたら、きっと何か褒美がもらえるぞ」そういってお城に持っていった。

 マンゴーの実を食べた王様はそのおいしさが忘れられず、とうとうこれを探しに出かけることになった。「すぐ兵を用意せよ!ガンジスを何処までもさかのぼるのじゃ。この実がなっている木が必ずある、急げ!」船は営々と丸一日漕ぎ続けられマンゴーの木に近づいた。「あっ、!あの木だっ。みごとな実をつけているではないか。木の上で動いているのは何じゃ。ん、なに猿だと!けしからん!弓だ、弓をもてーっ。」王様とその兵隊たちは船の上から猿の群れ目がけて次々と矢を射かけた。

 大きい子どもたちは次々と力いっぱい飛び移って、矢の届かない茂みに隠れた。しかしマンゴーの木には、飛び移ることのできない一〇〇匹の赤ちゃん猿が残った。

 「お母さんがこの藤蔓を体に結び付けて先につかまるからね、みんなはそれを伝って向こう側へお逃げ、さあ、早く!」小さい猿たちは震えながら藤蔓と母猿の背中を伝って渡っていく。「お母さん、痛くない?」「お母さん、手がしびれてるでしょう」手が千切れそうに痛み、藤蔓を巻いた胴は締め付けられて息が止まりそうになる。そして最後の小猿が頭を踏んで渡りおわったとき、母猿の手は枝から離れ、ガンジス川の深みに飲まれるように落ちていった。

 「おかあさーん!」

 小猿はいっせいに叫んだ。夕日を映したガンジスの川面は小猿たちの涙のように赤くきらめき、とうとうとした水音が辺りにこだまするばかりであった。これを見ていた王様は弓矢を捨て、次のような詩を称えた。

 “我が身を吊り橋にして子どもを助けた母猿哀れ、あの猿を救え、マンゴーの実は二度と採るまい”

 お釈迦様はこう語り終えて、そのときの母猿こそ前の世の私であった、と言葉を結ばれた。

 ダライラマ法王が、愛について語られた言葉があります。「愛はとても大切なものであり有益なものです。愛の逆は何かと言えば、怒り、悪意でしょう。故に宗教は、愛とは逆のものである怒りを鎮めるため、忍耐や耐え忍ぶことの大切さを教えているのではないでしょうか。さらに忍耐に付け加えて、自分が持っているもので満足することも、心を良き方向へ導く大切な要素のひとつになっているようです。私たち人間が本質的に持っている、この愛という素晴らしい性質、このことを宗教は説いています。」

 新しい令和の時代も、多くの愛によって生きとし生けるものが幸せでありますように念じてやみません。

合掌

(酒井太観)

 

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