今月の法話
■「渡(と)世(せい)は厭(えん)世(せい)」【2020年5月の法話】
“渡る世間は鬼ばかり”ともよく言いますが、この世は人生や社会は善より悪や苦に満ちていて生きるのがつまらないものだと思う。そう思う方も少なくは無いのでしょうか。
早くも五月になり、気温も上がり過ごしやすくなって参りました。コロナウイルスの影響も変わることなく続いており、今もですがこれからも仕事や生活する上で一番大変な時期だと思っております。感染拡大防止の為に外出自粛などもあり、それに加えこの時期になりますと巷では五月病などと言うように気だるさが増してくる時期でもあります。
厭(えん)世(せい)。タイトルにしておりますように世は悪に、欺瞞に、嘘に、、といったマイナスの事で溢れている、ということを表す言葉です。少し違う言い方をすると悲観とも言いますが、物事などの成り行きを悪い方向ばかりに考えてしまう事ですね。仏教においてもお釈迦さまが初めて説かれた教えに四(し)諦(たい)というものがあります。人生は苦であると説いた苦(く)諦(たい)、苦を招き集める原因は煩悩、欲望であると説いた集(しつ)諦(たい)、心の持ち方を変える事によりあらゆる苦悩は滅すると説いた滅(めつ)諦(たい)、苦を滅する為に正しく物事を見る八つの道「八正道」を説いた道(どう)諦(たい)の四つを指します。本当はもっと深い意味がありますがここでは述べきれないので割愛させて頂きます。さて、この苦諦ですが先ほど述べた厭世の意味と似ているように思いますね。お釈迦さまの教えにそんな悲観的なものがあるのか、と思われる方も少なくはないと思うのですが少し違います。お釈迦さまは人間というものは「必ず移り変わるもの」を「永久に不変のもの」と錯覚し、無理な執着をつくりだすのだと言われています。
「人生は苦である」と断定したことは決して悲観的、厭世的なものの見方を教えた訳で無く「苦」そのものを有耶無耶にすることではなく、その瞬間の喜びや楽しみはいつか消え失せ、その影には必ず「苦」があるという事です。
今幸せですか?と聞かれた時にすぐに「はい」と答えられる方は少ないのではないでしょうか。お金があるから、欲しい物が全て手に入ったから、人間関係に悩んでいないから、家族がいるから、そう言った理由で幸せと思っていても心のどこかでやはり不安や悩みはあり、はっきりと「幸せだ」と断言できないと思います。私はそういった幸せ、というものは先述したような外的要因ではなく、今この瞬間の穏やかで、楽しく、心地よい心の状態であると思っています。今このご時世、ウイルスなどの影響もあり心落ち着くような時期ではありませんが、今こそゆっくり自分や身の回りの事と見つめ合う時ではないのでしょうか。
(江本 康亮)