今月の法話
■「正 見」【2022年8月の法話】
皆様、普段はどのように身近な地域のこと、日本のこと、世界の情報を得られていますか?インターネットが普及したこの十数年で様々な情報の知り方が幅広く増え、テレビ、新聞、雑誌、スマートフォンなどの携帯端末で見るなど、色々な方法があります。しかし、同じ事柄を取りあげるにしろ、メディアによっては表現が違ったり、異なることを掲載している事も。また数多くの情報発信元が増えることで目に入りやすくなった反面、本当にそれが正しい情報なのかまどわされるものもあります。
現代のようなインターネットや電話などを介した伝達要素が無かった時代、実際に会って話すか、手紙を飛脚や伝書鳩などをもって情報を交換するしか無かった時代もありました。一八七六年に電話機が発明され、同じく一八七〇年頃に日本で新聞がはじめて発行され、やっとこの近代になりテレビやインターネットといったモノが普及してきました。こういった技術が進歩していく中で我々の考え方、情報の捉え方というのは時代に対応してきました。
さて、ここ最近では、誤った情報を鵜呑みにしたり、印象操作によって勘違いや、行き過ぎた正義感を持った人が行動することにより沢山の事件が起きています。また、他の人から聞いた話や自分の思い込みにより変な先入観をもち、他人を傷つけたりこの人はこういう人だ、と決めつけたことはございませんか?仏教では世の中全ての事に対し“正見(しょうけん)”正しく見て、適切にしっかりと物事を判断せよという意味の言葉があります。
インターネットの発達により情報が溢れかえっている今、我々は何が事実で、何が正しいのかしっかり考えなければなりません。「その人を信用しているからその人の言うことが正しい」ということでなく、情報の正誤を自分で判断し、見極めなければなりません。なかなかむずかしいですね、これからのくらしはそういった事がとても大切になってきます。自然災害などが増えている今、何かあった時など特に判断力を失います。その様な時にこそ“正見”を忘れないよう、普段から、心がけなければと思います。
(江本康亮)