今月の法話

■「その都度、魂を磨く」【2022年10月の法話】

 

 お彼岸が過ぎ、行楽シーズンといわれる時季がやってまいりました。先日、台風十四号が広島県を通過しました。久しぶりに大きな台風の直撃とあり、対策も念入りに施しておりましたが、自然の猛威には叶わず、一時的な膨大な雨量により堤防を越え、境内に濁流が流れこんでまいりました。幸いにも大惨事にはならず、免れたことに安堵致しました。

 毎年、自然の猛威を受けるたびに人間の無力さ、無事に過ごせたことの有難さを感じます。
我々は何故仏様や神様に手を合わせるのか。日々いつ何が起こるか分からないものです。しかし、少なくとも怪我や事故にあいたくて生活している人はいないと思います。古来、日本人は農耕民族として田植えや農業に従事していた際に、現在のような科学技術も進歩しておりませんでした。いつ台風がくるのか、いつ地震が起こるのか。いつ大雨が来て、雷が落ちるのか不安と共に生活しておりました。この度もニュースやネットで大型の台風が広島県のあたりにやってくると予想がついたので、準備ができましたが、これが昔であれば突然風が強くなりだし、またどれほど強くなるのか想定ができない中、慌てて準備を行っていたことでしょう。

 準備八割ともいわれますが、しっかり準備しておけば被害は最小限に食いとどめることができます。まぁいいかと手を抜くと後で痛い目を見ることになります。仏様は私たちが手を抜き、甘えていることを見透かし、試練を与えてくださっているのではないかと思うほどです。

 誰でも大変なこと、つらいことは嫌なことです。ついつい自分だけがやっているとなんで自分だけと、自分は恵まれていないなどと思ってしまいます。ただ、どんなときも起こったことをしっかりと受け止め、次にどうしていくかを考え、行動する。行動を積み重ねることで、少しずつ心を鍛え、自分の魂を磨いていけるものです。

 八月に亡くなられた元京セラの創業者であられた稲盛和夫氏はご自身のお考えをお話になられる際によく仏教の教えを大切にされておられました。その稲盛氏は著書の中で「魂を磨いていくことがこの世を生きる意味」と言われております。「この世へ何をしに来たのか、少しでも生まれた時より良くなって、次元の高い魂を持って次の世へ行かれる」と。

 お釈迦様も法句経の中で「その都度、その都度、磨くのだ」と言われました。自身の行動を振り返って、昨日よりましな今日であろう。今日よりよき明日であろうと日々誠実に努める、私たちが生きる目的や価値がたしかに存在しているのではないでしょうか。

合掌

(吉田大裕)

 

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