今月の法話
■「幸せとは」【2022年6月の法話】
日々、いそがしく毎日を過している内に、歳をとれば取るほど、あっという間に過ぎてしまう日常、日々の生活をどう感じてどう生きているか自分の心に尋ねる事を皆さんはしていますか?
どう自分が生きて行けば良いのか、日常生活をどう送れば幸せに近づくのか、スマートフォンやパソコンを開けばすぐに知りたい事が分かる情報社会の中ですが、自分自身もう一度確認するべきではないでしょうか。
お釈迦様のお教えに、「日常の生活は楽しくなければならない、そこは苦しみを作る場所ではない」と諭されています。
それなのに「日常生活は平凡でつまらない」「苦しい事ばかりだ」と、ぼやいて何もしないと、人の人生を羨み、嫉妬してしまう苦しみが生まれてしまいます。
これではいけません。私たちは自分の力で生活を楽しいものに変えていく努力をしなければいけません。
「日常生活はほぼ仕事だから楽しくできるわけがない」「生きていくだけで精一杯で楽しくできる訳がない」こう考えている方もいらっしゃるかもしれません。
しかし本当にそうなのでしょうか?
事実、生活を楽しんで生きている方は沢山いらっしゃいます。
なぜ自分は出来ないと決めつけてしまうのでしょうか。
「あなたに何がわかるんだ、私はこんな人生を苦しんで生きているのに」こう思われる方がいらっしゃるかもしれません、気持ちはわかります。生きていると沢山の苦しみ、悩み、が自分に降りかかってきます。そう思ってしまうのも無理はありません。
しかし、それでも心を汚してはいけません。自分の心を汚し、苦しみを生んでいるのは自分自身なのです。そしてその経験が全て自分の経験、知恵に繋がります。
自分の人生を決めるのは自分自身であり、苦しい苦しいと言っていても救われる事はありません。勇気を出して自分を救う道を自分で探す覚悟を持つべきです。
今の人生が楽しくないというのなら、自分で楽しくするしか方法はないのです。人生の選択はあなた次第なのです。
時間が、環境が、周りの人が、こう言って自分の幸せを遠ざけるのはもったいないと思いませんか?
私達はもっと自分の生活、人生を楽しんで良いのです。
一度しかない人生です、人生は楽しいもの、幸せになるもの、こう考えて自分を苦しみから守って生きていきましょう。
皆様の日常に楽しさや嬉しさが溢れますように。
(大﨑希範)