今月の法話
■「てらこやの役割」【2023年7月の法話】
五月のG7サミットも終わり、コロナ前の日常が戻ってきている宮島でございます。
G7サミットの際には、十八日~二十日の午後まで入島制限が行われ、参拝者の皆様にはご迷惑をお掛け致しました。当山においても、関係者がお参りや取材に来られました。
G7に関連した事業も行われまして、当山でも毎年合宿を企画してくださる「宮島てらこや」の親団体にあたる「NPO法人全国てらこやネットワーク」が「G7てらこやサミットin広島・宮島」と題して、全国から子ども・大学生が集まり、平和祈念資料館や平和公園にて平和学習を行い、嚴島神社や当山を参拝し、当山観音堂に布団を並べて、宿泊し、翌日には弥山登山を行う合宿を実施してくださいました。
当日、生憎の大雨となり、弥山登山は断念せざるを得ませんでしたが、火渡り修行の際には降っていた雨も上がり、無事修行することができました。
大聖院で経験してもらったことはお寺での生活、火渡り修行、朝ご飯に精進料理を食べて頂きました。布団はみんなで協力して、観音堂に自分の分を敷きました。子供たちは自宅でベッドに寝ている子も多く、自分の布団を自分で敷く、シーツをかけるという体験も珍しかったようです。大学生のお兄さん、お姉さんたちがお世話係もしてくださるので、ペアになって、シーツを広げて、綺麗に敷布団にかぶせていました。朝になったら自分の布団は自分で畳み、布団置き場まで片付けました。
私がこの事業を通して考えさせられたのが、朝食時です。
ご飯を食べるときはお茶碗を持って、器を口元にもっていって食べる。肘はつかない。といった私たちが子どものころに教えられたことがあまりにできておらず、なんとなくご飯を食べようとする子どもたちが多かったです。
現代の世の中は便利で快適になったために、食事もコンビニやスーパーで出来合いのものが買えます。子どもたちの中にはご飯はどうやったら食べられるのと尋ねると「スーパーに売ってるよ」「レンジでチンしたらできるよ」という答えも出てきます。忙しい現代社会の中で、便利なことは有難いことですが、お米ができる苦労も知らず、食卓につけばご飯が用意され、好き嫌いはする。平気な顔でお茶碗の中にご飯粒は沢山残っている。お米ができあがるまで、生産者さんが苦労して、手間ひまかけて育てられたことも知らず、食べられることが当たり前になっているという現状に、お米一粒大切にできない先進国の子どもたちが、いずれ、世界をリードしていこうかという国の大人になっていくことに情けなさを感じました。
私たちが頂く食事というものはそもそも他の生き物の命を頂き、それを私たちの日々の活動のエネルギーとしています。私たちが無駄な行動をしていれば、それは他の生き物から頂いた命を無駄にしているにすぎません。器を持って食べ、その器を丁寧に机に置くのもお皿の上に生き物の命がのっかっていると思うと食べ物がのった食器をゴンと音を立てて、机に投げるように置くなどもってのほかです。お箸の持ち方、食べるときは頬張らず、よく噛んで、こぼさず食べるという食べ方も大切です。(「鳥のすがたになるなかれ」「獣のすがたになるなかれ」「虫のすがたになるなかれ」(食時三相)
些細なことと思われるかもしれませんが、些細なことに意識を向けることができない子は人間関係でもどんな場面でも繊細になることはできません。世の中は便利になりましたが、その分、人間はかなり杜撰になりました。楽しく食事をしたい気持ちもわかります。しかし、みんなで生活している社会だからこそ、きれいに美しく食べるという「美」というものはみんなが気持ちよくいられる為に大切なことです。それはこれらのことができるようになったうえで、TPOに合わせてスタイルを変えることが許されるのだと思います。
夏には当山の弥山小坊主の会もあります。宮島てらこやの合宿もあります。このように子どもたちがお寺で過ごす機会はなかなかできるものではありませんが、ご縁を頂ける方にはこのような考え方をお寺としても伝えていきたいと思います。
皆様の周りにお子さんやお孫さんなどがいらっしゃれば是非預けてみて頂ければと思います。
(吉田 大裕)