今月の法話
■「信心(しんじん)」【2023年10月の法話】
信心とは簡単に申しますと文字通り「神仏を信仰する心」という意味ですね。この霊峰をお読み頂いている方ですと三鬼さんへの月参りにお越し頂いていたり、様々な大祭にお越し頂いている方が多いと思います。また、この大聖院だけでなく、ご自身の菩提寺のお寺であったり、はたまた仏教とも違うキリスト教であったり色々な宗教に対し、信仰心をお持ち頂いている方が多いと思います。
この信心というのは、あらゆる宗教において根幹となるものです。弘法大師のお言葉に、「信心とは決定堅固にして退失なからんと欲(ねが)うがための故にこの心を発す。」ともあり、信心について次の十の意義を示されております。澄浄 (ちょうじょう)、決定 (けつじょう)、歓喜 (かんぎ)、無厭 (むえん)、随喜 (ずいき)、尊重 (そんちょう)、随順 (ずいじゅん)、讃歎 (さんたん)、不壊 (ふえ)、愛楽 (あいぎょう)という十のものです。一つずつの詳細はここでは省略させて頂きますが、簡単にまとめますと「信心とは、心が清らかになり、自己を見失うことがなく安心と喜びを得る、また他人に対しては尊重と感謝の思いが生じ、苦しみを抜き楽を与え得る」という意味です。神仏を敬い、信仰する気持ちが、日々生活する中で様々な事につながっているのです。
近年でも未だに宗教上の理由で争いをしていたり、神仏に対してに限らず、他人や様々なものに対して感謝の気持ちをお忘れの方を多くお見受けします。この日本は憲法において信教の自由が守られている為、どう思うかは個人個人の自由ではあります。しかし、こういった神仏に対する信仰心というのがやがて自分の身の回りの人や他人に対する信用・信頼といった事へつながっていくのではないでしょうか。
神仏を信仰する信心、これは事の大小に関わりません。どこか旅行等に行くときに晴れてよかった、無事に到着してよかった、最後まで無事に家に帰ることができた、嬉しいことがあった。そんな些細な事でも神仏に願い、御礼を申し上げることが大事なのです。また手を合わせる行為は神仏だけではありません。己が関わる全ての人を含む事柄に手を合わせ、心穏やかに、相手に接しましょう。感謝出来る存在、支えて下さる存在があるからこそ私達は生きることができます。人、仲間を大切にする等、感謝の基本はそこなのかも知れません。
(江本 康亮)