今月の法話

■「生きる」【2025年12月の法話】

 

 「今を生きることができていますか?」

 この問いかけにほとんどの人は今を生きていると答えることかと思います。ですが本当に“今”というこの瞬間に焦点を当てて生きることができているかたはどれくらいいらっしゃいますでしょうか。

 当たり前のことではありますが、瞬間の積み重ねが一時間をつくり、今日一日をつくり一日の積み重ねが一年を作り、やがてそれは人生になります。人に本来限界はありません。しかし何かに縛られたり何かに依存することで時に自分自身で道を狭めて限界を作ってしまうことにつながることもあります。それを肯定すると絡まって執着に変わることもあります。先のことを考えたり、仕事の計画をたてたり、人生のプランを設定したりするということは人生を作る上でとても大切なことですが、あまり先のことを心配して考えすぎてしまうとそれは未来を生きることになります。起きていないことに対して強い不安や恐怖を感じて時に決断ができなくなるということも少なくありません。

 反対に過去の出来事に執着をしてしまうと過去に囚われて過去を生きることに繋がってしまいます。反省をすることと過去に執着するということは別です。実際に私も結果論で、“あの時にああしてればもっと良くなったのに”そう感じてしまうことが今でも時々ありますがそれは過去への執着であり、結果としてまた自分の道の幅を狭めることにつながってしまいます。

 それでは今を生きるためにはどのようにしたら良いのでしょうか。私が思う今を生きることにつながる秘訣はいいことも嫌なことも悲しいことも嬉しいことも否定せずに受け入れるということが大切だと思っています。いいことも悪いことも全部自分の物差しで測って決めていることですから。生きていれば当然最悪としか言いようのない状況に置かれることもあり、嫌なことが続き生きるのが嫌になってしまう時も当然あります。そういう時になんとかしよう!と思って必死に頑張っても一向にいい方向にいかないなんてこともよくありますね。そんなとき人は原因を探すあまりに人に当たってしまったり怒りを感じたりしてしまいます。人間のエゴという部分です。しかしそういうときこそ過去にあった辛いこと、悲しいこと、悔しいこと、全てまとめて受け入れてみる。なかなか納得できない、受け入れられないこともあるかもしれませんがゆっくりで大丈夫なので自分の中でそれを消化して受け入れてみるのです。すると次第に外を向いていたベクトルが自分向きに方向がかわり視界がクリーンになります。必死に悩んでいたことの答えが身近なところから見つかったり、悩む必要のないことだったり、時に求めていた問いに対しての答えがないことが答えだということに気づいたりします。無理に感謝をしようとしても心が疲れしまい反発につながってしまうこともありますが、いろんなことを受け入れていってみると自然といろいろな事への感謝が湧き上がってきます。絡まった心の糸をゆっくり解いていく事で次第に怒りや執着といったエゴの部分の感情が消え、昔の自分なら嫌だなと感じていたことすらも、目の前で起きる事に対しても、感謝が込み上げてきます。今という瞬間に感謝ができるという感覚こそが本当の感謝であり、本当に見たい景色、なりたい自分に近づいていくのではないでしょうか。

合掌

(市川宗親)

 

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