今月の法話
■「如実知見」【2025年3月の法話】
やっと寒さもやわらぎ、春の兆しが見える頃となりました。宮島も今年は例年より一段と冷え込む日が多く、弥山では数年ぶりの大雪となり、厳しい冬でした。当山では二月の節分、その節分があった週末にあります十三参り子ども豆まきが終わると、やっと春まで一息つける頃となります。
この三月という時期は年度が変わることもあり、仕事の転勤・転職や進学などで出会いや別れの季節とも言われていますね。生まれ育った地元から出て都会に行ったり、逆に戻ってきたりなど、様々な環境の変化があることでしょう。
さて、宮島へよくお参りにお越し頂いて居る方は、この数年間での外国人の観光の方が急増しているのをご存じだと思います。実際年々増加し、昨年の外国人来島数は六十五万人と言われております。もちろん、宮島に限らず日本全国で外国人観光客が急増し、各地でオーバーツーリズム(観光公害)が問題になっています。我が国に興味をもち、お越し頂けるのは嬉しいことなのですが、どうしてもその国々で考え方や生活習慣などが異なることもあり、ゴミの問題、騒音など挙げ始めるとキリがありません。一部の国の方ではありますが文化財の破壊行為をしたとのニュースも耳にします。もちろん、中にはお寺のお参りの方法なども勉強してお越し頂いている外国人の方もいらっしゃいます。
しかし、こういった事は外国人だけに限った話ではありません。我々日本人の中にも目を背けたくなるような方が増えたような気もします。様々なことが便利になりゆく今の時代、分からないことがあれば辞書を引き、本を読む、なんて事をしなくても携帯やパソコンで調べればすぐに答えが見つかります。己の頭で悩み、考え、解決することなど減ってきているのではないのでしょうか。
私たちは知らず知らずのうちに、自分自身や物事に対して固執をもって生きています。自分の都合のいいように捉え、自分の中の固定化された物差しでしか物事を測れなくなってきています。お釈迦様はこういった考えこそが自らを苦しめるものだと説かれています。
これからの季節、新年度を迎え新しく関係性が増えたりしますが、家族や身近な人に限らず、自らの自己中心的で固定的なものごとの見方を離れ、ありのままに物事を見ることを心がけて過ごしましょう。
(江本 康亮)